2009~ブラジル、サンパウロ。毎日、自分探し。

自分が何をして、何を感じて生きてるのかを、客観的に知るために、とりあえず毎日書きたい!

春のイベント。資金作り

ブラジルはやっと春になった。今日は、娘の小学校で春のイベントがあった。子供がダンスを披露して、後は出店とビンゴがある。要するに、学校の資金集めのための行事なのだけど。



今までは、フェスタジュニーナくらいしかなかったのだけど、新しい学校では毎年やってるみたい。ビンゴは地域のお店から提供された品物を景品にしていた。それが、数が沢山で一枚3レアルにしてはチャンスも一杯で景品もよかった上に、人が少ないから、ずっといて当てる人は山の様に景品を持ち帰った。




私が着いた頃には、人が少なかったけど、売店の材料もゲームの景品も、生徒たちの寄付だったりするし、
学校がやる気になれば、資金集めもこんな楽しい形で出来るんだなーと思った。

ダンスの時間も、学年別でちゃんと連絡もあったし、掲示もされてたから、ダンスの時間に間に合う様に行っても、十分楽しめた。



古典音楽の資金集めでも、例えばビンゴの景品を協賛してくれる人や店から提供してもらうのもありだなと思った。見せ物、出し物をはっきり提示して、ちゃんと計画的に行えば、人は来てくれて、楽しめるのではないかと思う。

自転車通い

コンクール前の最後のお稽古に行った。道を変えてから、とても近くなった。自転車で30分位。歩道は市じゃなくて、各自が自分のうちの前を責任もって整備する方式だから、土地の堺で段差になっていて、自転車は走りにくい。仕方なく道路を走ることもある。近道だけど、スラムの前を通る。先日、違う道で縦長に開いた排水溝にタイヤが落ちて、両肘打ったり...

危ない。でも、時間短縮はすごい。自転車があること。自転車に乗れること。自転車で動けること。行き帰り、守られてることに感謝しよう。

今は楽しんで、子供達が親離れした頃にやりたいことや頑張りたいことがあればいい。

2013年から日本語を教えている。




最初は会館で。チラシも配った。会館の表に案内も出した。途中からうちに移動し、チラシも案内もなしになった。フェイスのページを作った。それから2019年現在まで、口コミのみで大体10人前後の生徒さんが来てくれている。長い人もいる。短い人もいる。でも、ちゃんと増えたり減ったりしている。



今は木曜日集中と、水曜日の夜2時間だったから、何だかあまり仕事をしてない感じだったけど、今日3ヵ月ぶりに来た生徒さんがいて、久しぶりに夜の授業が増えた。



前は、仕事が少ないと焦ったり、無価値感とかが強くて、頑張って仕事をしていた。でも、7月の休みの旅行から戻ってからだろうか、なんかどうでもよくなっちゃって、やりたくないことは辞めてほっといてみた。そしたら、仕事が暇そうでも全然平気だし、むしろ音楽の練習に打ち込めたり、子供達と一緒に遊べる時間が沢山あることが嬉しかった。



だから、ぶっちゃけ、3ヵ月ぶりに授業に戻ると言われても、夜のドラマの時間が減るなーと、あまり嬉しくなかった。まぁ、仕事だし、来てくれるならやっぱり頑張ろうと思うのだけど。




今は、琴と旅と家族と日本語と知る会がある。でも、もし全部なくなったら...やっぱりまた、無価値感に襲われるんだろうか。


今は、日本語も来てくれる人がいるうちは頑張ろうと思うし、古典に全面的に取り組むのはあと3年後くらいかな?と思うし、家族旅も子供達との時間もあと数年だろうし、勉強会もあと1年半。子供が親離れする頃には一気に穴が空くんじゃないかな、と思っている。



今は頑張らなくても、その時にやりたいことや頑張りたいことがあったら、丁度いいかなと思う。

ブラジルを知る会、勉強会

今日は勉強会だった。


会長にダメ出しされまくってから、やる気喪失してるのだけど、勉強会に行く度に、やっぱり続けようと思う。勉強会が終わるまでは。みんな、本当に優しい。20期もすごくよかったけど、21期と合同になって、違う期の人達とも近くなれたのが嬉しいし有難い。


私のやる気のなさとか、発表ボロボロとか、それでもヨシとしてくれる。みんなが自然体で、自分も頑張る必要もなく、とても楽しい。



サンパウロに出かける機会がグンと減ったけど、こうやって出かけて人に会って、刺激を受けるって、すごく大事だなと思った。




いつも、あっとゆー間に過ぎてしまうのだけど、この時間を大事にしたい。いつまでも続かないことは明白だから。






今日、改めて思ったのだけど、大したことでもないし、別に普通に出来ることでも、引き受けるのに素直にいいよ。というのに抵抗がある。


なんだろう。


「うちに来てもいいけど。」
「えー?ホントにいーのー?」


「これ、発表してくれる?」
「あ、うん。。。いーけど...」

なんだろう。それを、普通に「うん。」と言うのが、なんだか恥ずかしいみたいな、素直に受けちゃいけない、みたいな気になるのかな。

こうゆうのって、癖なんだろか。深く考えずに、可能か不可能かで決めて、出来るなら即答で引き受ければいい。




この恥ずかしさとか、簡単に引き受けちゃいけない、みたいな感情の元を探ってみよう。

人と関わっていこう。

今日はちょっと考えて、やっぱり合同練習に行くことにした。カッコつけるより、本番前に沢山の人の前で弾いてみた方がいいと思ったから。


いつもだけど、行ってすぐは、やっぱり来ない方がよかったかも...と思う。なるほど、参加者が少ない。琴が8名、三線が5名だった。ダラダラとゆうか、ユルくてなんかぱっとしない。


でも、セリキャクさんは可愛いし、みえこさん?は明るいし、けいこさんは積極的に関わってくれる。外に出て誰かに会う。人と関われば何かが起こる。どういう時間を過ごすのか、どういう展開にもっていくのか、は自分次第。



行ってよかった。とりあえず、2回練習出来たし。こっち側の人との関係を築くこと。先生のフォローをすること。あまり参加しないけど、これからは人と関わっていくことが大事だと強く思った。



そして、歩きながら色々考えてた。私の課題。人の役に立つこと。与えること。思いやり、優しさ。


こんな歳になっても、まだこことは情けないが、進むしかない。考えたり、空想したり、理論を並べるのは簡単。体を使って実際に行動するって何て難しいんだろう。



でも、やってみることはできる。やるかやらないか。人に言う前に、自分だよな。。。

教師、師範は技術だけでなく、人間性も必要。

今日も琴の先生と話に盛り上がってしまった。

でも、練習だけじゃないこんな時間が、私には有難い。倍以上の歳の差でも、母として、女性として、日本人として、音楽をする者として、対等に話し合える。


お稽古は、唄のレベルアップだけじゃない。人間性の
レベルアップの時間でもある。だから、教師や師範になる資格は技術的なものだけじゃなくて、人間性もかなり必要だと思う。そのためにかかる時間は果てしない。




古典音楽を本気でやりたいと思った。
そのために、今から未来を作らなきゃと思った。
技術向上のために毎日練習するようになった。

コンクール始め、今後、琴や古典を広めるために、新しいやり方を提案したいと思った。

今の上の方達が受け入れないことが分かった。

あと3年位したら、世代交代するかもしれない。それまで、対立は避けて、自分に出来ることをしようと思った。


残念ながら、今は責任を負う立場にはなれない。3年で、家族との時間、旅行を満足するまで出来たら、子供が自立した頃には、自分にもやりがいが必要になるだろうし、身軽にもなるはず。


でも、券を売るとか、役員とか...そういう苦手分野を思い出して、ちょっと怯んでるトコロ...

冷蔵庫に炊飯器

バナナ山のサウの所へ釣りに行った。

昨日、義父に炊くだけにしてあるご飯を釜だけ出して、冷蔵庫に入れてと頼んだら、冷蔵庫の中にあった自家製ヨーグルトを引っくり返して全部捨てたと言われ...
こうゆうの、旦那に愚痴っても、頼む方が悪いとなる。それだとスッキリしないのだけど、帰りに頭から否定されたり、説教されると不満が残るし、納得出来ない。ただ、そうだね。と聞いて、受け入れてくれたら、気が済むのに...と言ったら、努力すると言ってくれたから、それだけでもうスッキリした。



うちに着いて、冷蔵庫を開けたら...炊飯器まるごと入ってて驚いた。義父に任せた自分が間違いだったという旦那の意見を受け入れざるを得なかった...